後にジェイ(J)と名付けられる雄の子猫は、2013年1月26日に我が家の一員となった。ジェイというのは「January」の「J」。私の母が名付けた。
その約1ヶ月前のクリスマスにジェイは現れた。その頃の私はまだ独身で、宮城県富谷市(そのときは黒川郡富谷町)の実家で生活していた。約半年前の夏頃から、ジェイが我が家の周りをうろうろしていたのは知っていた。
クリスマスに我が家の敷地内に現れたジェイは、石油ストーブの屋外ユニットの上で暖を取りだした。別な病気の猫が寒い夜の間はその石油ストーブの屋外ユニットの上でうずくまっていたが、ジェイがその場所を奪った。その病気の猫のその後の運命は分からない。
ジェイは小柄な白と黒のハチワレ猫で、顔の先の鼻の付近にも黒い模様がヒゲのようにあった。家にはもう20才になろうかという白と黒のハチワレ猫の大吉がいて、ジェイが登場したことによって、私は白と黒のハチワレ猫にある種の縁を感じた。
真冬の気候にもかかわらず屋外で生活するジェイのために、ダンボールなどで簡易的な猫ハウスを台所近くの外のウッドデッキの上に作って、夜の間は湯たんぽを用意するようした。それでも、ジェイはより快適な家の中に入りたそうだった(実際に入ってきたことがあった)。とても人に懐いていて、社交性のある猫だと思った。一方で、よく怪我をして戻ってきたので、他の野良猫と喧嘩しているのだと思っていた。
私はジェイを家の中に入れてあてげたい、自分の猫として飼ってあげたいと思っていたが、既に大吉と福という2匹の猫がいたので決めかねていた。また、私の母がジェイを飼うことには乗り気でなかった。実はジェイは野良猫ではなく、近所で飼われているのではないかと思っていた。人間に懐いていたし、ジェイがとある家に出入りしているのを見たことがあった。
そうしているうちに、ジェイが体に板を付けてどこからか戻ってきた。強力な接着剤が板に塗られているようでった。そのジェイの姿を見て、最初に私と母がしたことはジェイの飼い主(飼い主と思われる人)を呼んで、事情を聞くことだった。実際のところ本当に飼い主であったのだが、飼い主の中年の女性が話すには、家で飼っている他の猫がジェイに攻撃的で、ジェイが家にいられないということだった。私たちは、そうであれば私たちでジェイを飼うとやや強めに主張し、そして、実際にその同意を得た。
その後、動物病院に連れていきその板を取ることになった。板を取るにはジェイの毛を刈るしかなかった。その板はどうもネズミ捕りだったようだ。
分かってはいたが、引き取った後もジェイはとても人懐っこい猫で、しかも賢さもあった。我が家の一員になったときは、1才前後であったはずだ。私の母がJanuary(英語の1月の意)のJからジェイと名付けたとき、私の頭の隅には村上春樹の鼠三部作のジェイが浮かんでいたので、悪くない名前だと思っていた。
それから約8年間、ジェイは充分に幸せな一生をおくったと思う。よく家の外に逃げ出す猫だったが必ず戻ってきた。一度だけ1週間ほど行方知れずになったことがあった。そのときは、チラシまで作ってジェイを探したのだが、他の家の屋根に登って降りれなくなっていたらしい。このよく外に出かけていく習性がジェイの命を縮めることになった。
私はジェイをとてもかわいがっていたが、ジェイがきてから約2年後に犬のアスターを飼い始め、その1年半後に結婚して実家を出た。その後、ジェイの面倒は私の両親がするようになった。猫は犬と違って飼い主が変わっても、住んでいる家が変わらなければあまり気にしないようだ。
話が前後するが、実家を出る前のアスターがきて数ヶ月後に、年長のハチワレ猫の大吉が21才で死んだ。
ジェイが家にきて7年半後の2021年の夏にジェイが猫エイズに感染しているらしいことがわかった。一度、外の猫と喧嘩をして血を流して帰ってきたことがあったようだ。そのときに感染したのかは、正確には分からない。最初の診断はリンパ節の腫れ(持続性全身性リンパ節腫大)だったが、そのうち、猫エイズが原因であることが分かった。インターフェロン等で治療したが、冬になるとエイズ期(後天性免疫不全症候群)になった。
それでもジェイは、まだまだ若い猫だったし、とても丈夫でもあったので数週間は生き続けたが、最後は全く食べることができなくなり、2021年1月16日の深夜に静かに死んだ。最後は父が看取った。