私が最初に、そして2番目に飼った犬のことを思い出してみたいと思います。
ゴロ(1983〜1988)
私が初めて飼った犬の名は「ゴロ」。5月5日の子供の日に何かのイベントから祖父が連れてきました。イベントで当たったと祖父は言っていましたが、よくよく考えてみると本当に犬が当たるなんてことがあるのか、今は疑わしいと思っています。ゴロという名前は5月5日の「5(ご)」に由来しています。
連れて来られたときは小さな子犬で生後数ヶ月だったと思います。祖父はシャツの中にゴロを入れながらカブ型の50ccバイクを運転して連れて来ました。ゴロはお腹の調子が悪く、祖父のシャツを汚してしまっていたのを覚えています。
ゴロは雄で犬種は雑種だろうと思われていました。根拠はありませんでしたが、家の中では樺太犬に似ているという話がありました。そのため冬になるとソリをひかせたりもしました。ゴロは中型犬と大型犬の中間くらいの大きさでした。
ゴロは真っ黒な毛に白がやや混ざった体格のしっかりした犬で、散歩は家族の誰かが毎日欠かさずおこなっていました。
去勢をしなかったり、ご飯は手作りであったり、冬でも外で飼っていたりと、現在の一般に適切だと思われているのとは異なった環境で飼っていました。そのような飼い方の結果、フィラリアに罹ってしまい手術の甲斐もなく若くして死んでしまいました。
死んだのは冬が始まる寒い夜で、とても悲しかったのを覚えています。
母親はゴロには可哀想なことをしたと言っていましたが、当時の一般の犬の買い方は、今よりもある意味では粗野なところがあったと思います。
チャコ(1988〜2004)
私が飼った2番目の犬が「チャコ」。見た目は柴犬に近い雌の中型犬でした。フィラリアになってしまったゴロの治療・手術をしてくれた動物病院から、子犬の里親を探しているので見に来ないかという電話があったのです。ゴロが死んでしまってから3ヶ月ほど経った頃でした。
母と私で動物病院にいってみるとケージの中には十匹ぐらいの子犬がいて、チャコはその中の隅でブルブルと震えていました。兄弟の中で一番臆病そうだったのです。母と私はその可哀想な子犬を引き取ることにしました。
家に連れくると臆病ということは全くなく、むしろやんちゃな子犬でした。毛が茶色だったのでチャコ(茶子)と名付けられました。ゴロを病気で亡くしてしまったこともあり、チャコはとても大切に育てられました。
チャコはとても可愛らしい見た目で、実際に美人といってもいいくらいだったと思います。
チャコはゴロより小型だったということもあって、家の中で飼われました。ゴロと同じように散歩は毎日欠かしませんでした。寝るのは人と一緒に布団の中でした。それもあってか少し神経質なところがありました(あるいは神経質なところが目立ちました)。ゴロはおおらかな性格だったので、その違いはよく覚えています。
チャコが7歳になると突然子猫がやってきて、生活に小さくない変化がおきました。チャコは最初はストレスで太ってしまいましたが、1ヶ月ほどで子猫にも慣れ、その後は概ね仲良く一緒に暮らすようになりました。
チャコは高齢になると耳が遠くなったり、目が白く濁ってきたり、前足の骨がよく外れるようになったりと、加齢によるちょっとした不調はありましたが、大きな病になるようなことはありませんでした。
チャコは2004年に16歳で老衰で死んでしまいました。犬としては長生きで、平穏な一生だったと思います。
チャコが死んでしまってから約11年後に3番目の犬「アスター」がやってきます。